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2026/08/18-19 長崎

家族の者が新聞で池島の紹介を読んで、これは日本でもっとも最近まで稼働していた炭鉱なのだけれど、これの内覧ツアーが2026年度までで終了すると言うことで、是非行ってみたいと言い出した。と言うことで、夏季休暇に日程を合わせて、着いて行った。

そもそも池島のツアーは一ヶ月前に取れるようになるので、そこで合わせる必要があった。これは午前と午後に2回やっていて、今回我々が取れたのは8月18日の午後のツアーで、言い出した人間は追加の島内を周るのにも入れたが、他の人間は人数がいっぱいだったのでそれは入れず、自分たちで適当に回ると言うことになった。(自分はどちらかと言うと自分の足で色々みてまわりたかったので、それでよかった。ツアーで行くと、立ち入り禁止のところや、廃れた集合住宅の一室・屋上などに入れることと、車で移動できる、というところがよかった模様。ただ、ちょうど船の時間にに合わせて終わる感じなので、自由な時間がないと言うのが欠点。)

18日の朝飛行機で長崎空港に向かい、そこからレンタカーで、瀬戸港へ向かった。池島への船は瀬戸港ともう少し南の港から出ているのだけれど、ツアーが瀬戸港への船に合わせて時間設定されているのと、瀬戸港の方が近くにスーパーや駐車場が豊富、と言うことで、基本的には瀬戸港になると思う。もう一つの方は高速船が走っていて、経由して別の港まで行くとかならありかも。

行きの飛行機






瀬戸港へ



近くのスーパーでお惣菜とおかずおにぎり(豚タルタルと鶏マヨかなにか)でお昼。スーパーにある食堂的なところは人が多かったので、瀬戸港の待合(1時間くらい前に行ったので誰もいなかった)で食べていた。

池島へ

乗った船は一階に車が乗り込めるタイプのものだった。ゆっくりならかなり小回りきいてすごい。
客室はエアコンがよくきいていたけれど、デッキにも少しだけ椅子があって、そこは潮風がとても気持ちよかった。行きも帰りもうたた寝しながら景色を眺めていた。







ツアー

ツアーはほとんど写真を撮っていなかった。
閉山後は技術移転で他国の研修生に指導していて、観光事業もやっているとか、コの字型に削っていく工法を採用していたとか、昔はダイナマイトで発破していたけれど、終わりの方は使っていなかったとか、最盛期は100万トン以上/年産出していたとか、常にガスに注意して作業していたとか、電話交換手のお姉さんが途中までいたけど、そのうち800MHzの無線に変わってしまったとか、お弁当が楽しみで皆豪華に作ってもらっていたとか、隣にちょうど良い島があって、そこから通気口掘って空気流せてかなりコスト浮かせたとか、最初期は池島の周りを掘っていたけれど、断層で高さがずれたりしていて面倒だったので、ポーリングで掘りやすくたくさんあることがわかっているその島の方の付近で掘っていって、最後は池島から10km以上離れたところで採掘していたとか、色々話していた。


池島の散策

私は追加のツアーに行かないので、船が出るまで1~2時間ほど散策する時間があった。解散した瞬間、一目散に山に登り始めた。地上には炭を一定量(大体一ヶ月分くらい)保管し船積みしていた施設の跡地と、人々が生活していた跡が主にある。稀に人が住んでいて、会館など一応泊まれる場所も存在している(食事は存在しない)。無責任な部外者の餌やりにより生きながらえている猫が数十匹いるのと、盛夏なので草が生い茂っている。歩いていたらスナックもあった。
学校脇の裏山は登らなかったけれど、それ以外は大体歩いた。
















細道





中央の住宅地









KDDIだったかな?



八階建ての住宅

斜面に建てられていて、5階部分からも入れるようになっていることで有名。


















帰り道


























宿へ

遠藤周作文学館

道の駅 夕陽ヶ丘そとめに停車したついでに撮った。時間的にしまっていたし、道の駅もしまっていたかなしい。


公園

車内から撮ったいい感じの公園。機会があったら行きたい。

夕食

 池島で汗をかきすぎて、一旦宿に直行して、荷物と車を置いてシャワーを浴びて、宿から長崎駅に出ているシャトルバスに乗った。最終便の出るまで宿に着いた時点で30分なく、1人シャワーを浴びる時間がないというのはあったけれど、なんとか乗れて、駅の方に繰り出し。おかげで、全員が飲むことができるので、ある意味よかった。
 バス内で食べるところを色々検討して、魚◯亜紗(長崎駅周りだけでも居酒屋などいくつか系列店舗があるみたい。翌日見かけたりした。)と海鮮炙り屋 いぶき地というどちらも駅のそばの店がグループチャットに貼られて、私も一応一件貼っとくか、と勇気を出して貼ったのが割烹 かなやま。
 酔いそうになってきた(宿から駅までかなりの勾配で、ぐねぐね斜めに道を通すことでなんとか登れるようになっているみたいな道路なので、スマートフォンで調べ物をしていたら酔いそうになった)ので、降りてから考えることにして、景色を楽しんだ。勾配がかなりきついので、景色はとても良い。曲がりくねった道も風情がある。
 降りてから、まずは魚◯亜紗が目の前だったので行ってみたのだけれど、もうメニューの半分くらいは売り切れていて、もう店じまいという感じだった。丼が多かったかな?人気店なのだろう。ということで、かなやまさんの方に電話してみたところ、入れるということだったので、そちらに歩いて向かうことに。雰囲気は間違いない店ではある。


 日本酒を頼んだ時に出てきたお通し。あまりにも最高で、これだけで7割くらい徳利があいてしまった。もう満足している。日本酒は長崎のものを頼んで、その次に大分か福岡のを頼んでいた人から半分ほどもらった。どちらもこれは、というものではなかったので、銘柄を覚えていない。長崎のものはちょっと軽い感じで少しだけ酸がある感じ、福岡だか大分のは結構しっかり酸があるもので刺身と合わせるときに好む人はいそう、という感じ。三つ目に西の関というお酒を頼んだのだけれど、これがしっかり旨味も辛味もあって美味しかった。今度買ってみたいところ。(今調べたら大分の日本酒らしい。ということは、おそらく半分ほどもらったのは福岡だったのかな?(さらに確認したら、長崎の今里酒造の六十餘州、福岡の池亀という日本酒らしい。そういえばそうだった。)
途中で麦茶とお冷を頼んだのだけれど、麦茶は家庭的な味、お冷は(おそらく割るのに使う水なので)おいしかった。

 刺身。どれもそれぞれいい頃合いのものが出ていると思う。どれもしっかり包丁が入っていて食べやすい。イカも鯛もしめ鯖も、皆おいしかった。(美味しいものしかなくて最高だった)
醤油はやはり九州の味醂か砂糖などを入れて煮詰めたような醤油だった。本場で九州醤油を味わったことはなかったので、これがかの、という感じだった。寿司の上に塗る煮切り醤油みたいなものなので、合わないはずがなくおいしかった。

 野菜。酢の物系なんか頼もうとしたところあまり頼みたいものがなかったようで、サラダを頼んでいた。(そもそも酢の物系は2品ほどしかなかった。)美味しい。

 なすの田楽だったか。調べたら、九州でもこういう濃い味噌が好まれるらしい。お通しも結構しっかりとした味付けで酒が進んだのだけれど、これもしっかりとした味で進むすすむ。ただ、全て味が濃いわけではなくて、このあと出てくる玉子焼きや五島うどん、茶そばなどは旨味しっかりだけど優しい味になっているし、つみれなども酒に合わせて塩味は効いているけれど、そこまでこってりはしていないし、偏っていないのもよかった。

 玉子焼き。しっかり出汁が効いていた気がする。おいしかったことだけしか覚えていない。

 つみれか何か(自分が食べるのに夢中になっている間に頼まれていたりしていて、終えていない)
 時々食べる、イカのすり身揚げによく似た味だった。


これは、あらの煮付けかな。大将に一匹にするか半分にするか聞かれて、誰かが半分にすると答えていた気がする。
これ味濃い系で、煮込まれた豆腐が美味しい。細長目にさかれたごぼうが入っていて、これもおいしかった。牛肉のワイン煮とか、こういうのに入ってるごぼうまじ美味しい。なんであんな土っぽいものが美味しいのかよくわかんないんだけれど、美味しいんだよな。

揚げ豆腐。美味しくないわけがない。


五島うどん。ちょうど五島町にある居酒屋で、自分の兄弟はまだ飲めないので、これを最初に頼んでいた。(出てきたのはやはり締めに近づいてからだったので、早めにとお願いしておけばよかったかも。ただ、そのおかげで酒を飲んでいる人間たちが締めにこれを口にすることができたのも事実なのでなんともいえない。

茶そば。うまい。個人的には締めにするには味が濃い気がして、残しておいた西の関と食べていたので、締めにするなら五島うどんか、他のメニューにするのが良さそう。

帰りはタクシーで帰った。この上り坂は今まで大回りで行かないといけなかったから神社(諏訪神社)が提供して、だからご神木が道路の中央に残されているんだよ、とか、ここのちゃんぽんが一番おいしかったけどしまっちゃった、とか、宿への登り道が急すぎて客から一体どこに連れて行っているんだと不安がられただとか、いろいろな話をしてくれた。

あまりにも当たりだった。次長崎に行くことがあっても一食か二食はこの店に行きたい。長崎に住んだら毎日行く。定食もやってるみたいだし。

宿

 にっしょうかん 別邸 紅葉亭に宿泊した。紅葉亭を紅葉亭と呼ぶということはタクシーの運転手さんに行き先を告げて発覚した。
 非常に眺めがよく、別邸の方は人も少なかったため浴場もほぼ貸切のような形だったので、ゆったり過ごせた。すごく室内は豪華で、部屋についているお風呂は木張りだったり、とても良い。朝部屋の前に新聞を挟んでくれたり、古き良きところもある旅館だった。(宿泊費を見ているので、想像以上の良さに驚いている。時期もあるけれど。女湯だけRefaのシャワーヘッドとドライヤー用意しているのはちょっと羨ましく感じてしまうけど、男女別々にボディーソープ、シャンプー、コンディショナーが色々取り揃えてあるのはよかった。眺めも良い。)






朝食は、本音を言わせてもらうと、昨日に比べると少しばかり霞んでしまうけれど、そこそこといった感じ。こういう旅館って、味が濃いものたくさん出すのにご飯のおかわりいただくのが大変なところ結構あるのなんでなんだろう。ご飯メインじゃなくて同行者とゆったり喋っていたいので側で待機していて欲しいとも思わないし、お櫃用意して欲しい(お櫃なところもある)けれど、無駄が多いか。

長崎市歴史民俗資料館、長崎原爆資料館、長崎原爆死没者 追悼平和祈念館

 この日は平和記念公園周りの場所に行って、15:00くらいの飛行機で帰る、といった流れだった。
 長崎市歴史民俗資料館では、久保田馨氏の頓珍漢人形というのが展示されていた。身長数センチメートル程度の小さめの人形なのだけれど、数が非常に多く、そのどれもが結構面白く色々なものの姿形を捉えていて、見ていて刺激になった。

 原爆資料館では図書室で写真集や本を1時間ほど読んでいた。原爆は機密情報だったので、写真や資料などを全て押収して、何十年も経ってから返還の話が上がるようになり、政府が申し入れて1年くらいで一定数変換されたものがあるらしい(押収時の目録がないため全て帰ってきているかなどは分からない)。資料の状態は非常によかったらしい。図書室では、若い学生が夏休みの宿題などをやっていた。あと、核利用や原爆などについての新聞のスクラップが数十年分保管されているのが印象的だった。

 追悼平和祈念館でも、本が置かれていたのでそれを読んでいた。いくつか医療系で白血球の写真や被曝状況ごとのその後の発症状況だとかを眺めていた。その後、医学部の資料を集めた本を読み始めて、それがとても重かった。(物理的にも重くて、分厚いのが10冊近くあったと思う。)自分からは書けない。
被爆者の書いた文章は数百冊規模であったけれど、時間がなくて及ばなかった。

昼食



昼食はお魚定食 朝げ屋 大村店でいただいた。天ぷらと刺身の定食を頼んでいる人もいたが、写真を撮り忘れた。私は味ついた衣であげたやつ(3枚目)を食べた。刺身ついてくると思わなかったのでついていて嬉しかった。ここはどれも朝仕入れた魚ということで、刺身もぷりぷりだった。ご飯やお出汁、漬物などのおかわりが自由で味もおいしかった。
 ただ、直前に死にかけの人間の身体中にハエが止まっている写真とか、真っ赤に腫れ上がって死んでる写真とか、完全に焦土になったところにしたいがいくつも転がっている写真とか、壕で互いに声をかけながら一人、また一人と声が減っていく描写とかが目に、脳裏に焼きついているもんで、こんな美味しいものがお腹いっぱい食べられるなんてなんとか思うようにして吐き気を無視して食べていた。落ち着いてから食べたらもっともっと美味しいはず。天ぷらなどはかなり豪華で、色にこだわりがあるのにとても満足していた。

でも、原爆資料館はそれくらい、少なくとも1週間くらいは食事が喉を通らないくらい、来場者をぶん殴るべきだと思う。自分は自ら殴られに行っているからぼこぼこになれているけれど、黒いところだけが焼けた服とか、爆発時に影ができたものとか、絵にするとか、生ぬるくするのは、冒涜だと思う。本当に悲惨さを伝えたいんか?手を尽くして来た人の人生を抉らないと、世の中変わらないと思う。

帰宅

帰りの飛行機はやけにまっすぐ飛べて、予定より10分以上早く到着した。
面白いところに行き、美味しい食事をし、よい旅館に泊まり、人生を抉られ、それで最後まで何事もなく帰ることができてよかった。新聞を見て池島に行きたいと突然言い出してくれた家の人には感謝したい。